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noise pop

生活

花火を横から見ると

ベローチェ。横に座ったおっさんが何かに不満があるのか延々と舌打ちをしていて、それに耐えきれなくなったので違うベローチェに行ったら、今度は柔道部OBみたいな女が、後輩達のために激励の練習でもしてるのかというくらいでかい声で電話をしていて、しまいには調子っ外れな歌まで歌いだしやがったので予想以上に憔悴してしまった。ていうかベローチェ行き過ぎだと思う。今度からドトールにシフトチェンジしようと決めた。最終的にはエクセルシオールになる予定。スタバにはここ二年くらい行っていない。

柔道部OBのローファイソングに耳を塞ぎながら、インスタグラム(写真を撮ってそれをお洒落に加工してしまうびっくりSNS)を起動する。最初のうちは面白がってバンバン撮ってバンバンあげてたけど、我ながら写真のセンスが皆無なことと、被写体が全くいないことに段々と気づいてしまった。自分が書いた四コマ漫画を載せ、買ったレコードのジャケットを載せ、遂には飯の写真を載せ、それで終わった。今では他人の写真を「おっしゃれ~」と眺めるだけになっている。

写真とは日常に付箋を貼る作業だ、といつか聞いたことがある。

3万回くらい言ってると思うが、僕は高校二年から何故かブログを書いている。ほぼ毎日書いている。なにをそんなに書く事あるのかというくらい書いてる。奇跡的にも文章力は上がっていない。ライブドアから始まり、ヤフーブログ、Bloggerなどを経由してはてなブログにたどり着いた。アメブロはやらなかった。あれやってる人はセンスが腐ってると思う。

日常は流れる。流れ去ってしまうものに対して、ずっと昔から何かを感じてきた。その場にずっと有り続けるものに比べて、圧倒的に切なくて儚い存在である。いつだったか、ストレイトミンツのレビューもどきを書いた時に「パーティーが終わったあとの寂しさ」みたいなことを言っていたような気がするけど、なんというかそれに近い感覚だ。

8.Starlight Mints/The Dream That Stuff Was Made Of(2000) - noise pop

ブログを書くということは付箋を貼るというよりも、日々の流れに対して少しでも抗おうとする気持ちの表れだ。少なくとも僕にとっては。明け方にパーティーが終わったあとのガランとした空間を、なんとかして記憶に残そうとする。少しでも留めておこうとする。無限ではなく有限だからだ。消えてしまうから美しいのだが、それを残そうとすることは更に美しい、と思う。

話がひとまとまりしたところで、考え事が溢れないように僕はゆっくりと席を立つ。OBはまだ激励の練習に精を出していた。お前も早く帰れ。