読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

noise pop

生活

無駄だと分かっていても手を伸ばしたくなることもある

大学1年の途中から4年生の終わりくらいまで使っていた携帯が部屋から出てきたので、充電器を30分くらいかけて探し出し、暫く充電してから電源を入れてみた。4年間のしょうもない思い出にもならない思い出が、時間の止まったまま部屋の片隅に転がっていた。本人の名誉のために名前は出さないが、誰かがゲロ吐いてトイレで死にかけている写真があった。あれ、このあとこいつ死んだっけな?と思う。興味がないから覚えてない。2年生の時、今では信じられないが、僕の部屋で20歳の誕生日パーティーが開かれた時の写真まで出てきた。酔っ払った僕は、今まで押さえつけられていたフラストレーションが全て出てくるという格好となり、上裸で革ジャンを羽織り一心不乱に自撮りに興じていた、らしい。自撮り画像が出てきたのだ、20枚。11月の秋風が吹く頃の話だ。狂ってると思った。

 

ブックマークされていたブログを、ご丁寧にアドレスを一文字一文字打ち込み、今現在の状況を確認した。死んでるブログが10個くらいあった。多分みんなツイッターに行ってしまったのだ。思考が140字で収まるくらい縮小したのだ。その人たちの動向を追っていちいちフォローしようとは思えなかった。ていうか最近ツイッター見てねえ。見てると気分が害される。吐き気がする。肩がこる。スクランブル交差点のど真ん中に一人ぽつんと取り残されている気分になる。俺は誰だ何者だ何をすりゃいいのか気がつきゃ自分に問いかけてる。時々自分が不安になる。時々自分が不安になる。いや、いっつも不安なんですけどね。


キミドリ 自己嫌悪 - YouTube

 

僕は人が嫌がったり困るようなことをしたくない。だからよく人に騙される。小さい頃、姉に「お前はお母さんが生んだ子じゃない。くらっこ(こういう名前の酒屋が家から100mくらいの距離にあった)の前で拾ってきたのだ」ということを言われ、「ああ、そうだったのか。どうりで俺だけ男の子なわけだ」と意味不明なことを思い、半年に一回くらいのペースで半径100mの範囲内での家出を繰り返した。毎回15分くらいで帰ってきたが。

 

とにかく人を困らせたくない。だったら俺が嫌な思いをすればいい、くらいのことを毎回思っている。理由は至極簡単で「人が困ってる顔をみたくないから」である。結局は自分中心で世界は回っている。

 

でも、だからといって、やりたいことやれないなんて、こんな辛いことあるのだろうか。だったら死んだほうがマシである。その時だけはどうか、人が困った顔してようが嫌な思いをしようが、そんなもん関係ない。知ったことか。勝手にやってろ。これくらいの思いを一方的にぶつけるくらいの気持ちを持っていたい。持つべきなのだ。それが僕に圧倒的に足りていない。人の顔を見ると、何も言えなくなる。

 

やっぱり僕は何か書いていたい。なんでもいい。趣味でもいい。仕事でもいい。このブログでもいい。何かを書いて人に読んでもらいたい。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけでいいのだ。それに割く時間が欲しい。一日中、何か書いていたい。ブログだって本当は毎日更新したい。でも今はできない。他にやらなくてはいけないことがあるからだ。一つじゃない。何個もある。くそったれである。でも今の状況でそんなアホなことばっかりやっていたら、いつかきっと罰が当たる。めんどくさい。全部とっぱらってしまいたい。

 

アクセス数が悪いレビュー、僕のどうでもいい日常、読んでる人が分からないような友達のこと。その全てを書いてる時、違うところに飛んでしまうような感覚に襲われる。余計なことは何も考えなくていい、自分だけしかいない真空の空間だ。ボーッと突っ立っている僕の脇を、文字が素知らぬ顔でサーっと通り過ぎていく。それを逃さないように、文字を一つ一つ捕まえる作業が始まる。それでも文字は僕の指をすり抜け、また違うどこかへ行こうとする。その時だけはどうか、誰のことも考えないようにしてほしい。するべきなのだ。

祈りは言葉でできている。言葉というものは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、 全て終わったことについて、僕たちが祈り、願いを持つことも、言葉を用いるゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)