noise pop

生活

ヒーローは遅れてやってくる

地下鉄に乗る。

仙台市民なら知ってると思うけど、八乙女駅から仙台駅までは片方のドアしか開かない(どこでもう片方のドアが開くのかは知らない)。なので開かないドアの端っこ、ここが個人的にベストポジションなのである。そこに寄りかかり、ゴソゴソと鞄からブックカバーが付いた文庫本を取り出し、気だるそうな顔で読み出す。一応しおりも挟んでいるがあまり参考にしていない。適当にめくったページから読み出すのがいつもの癖だ。全く必要とされていないしおりが「ひどい…」とシクシクと泣いている。

最近は地下鉄で移動するときは携帯を極力取り出さず、文庫本を読むことにしている。僕の自意識過剰は今に始まったことではないけど、こうすることによって周りに対するマナーを守るだけでなく、知的に見えるというおまけまで付いてくるのだ。誰も不幸にならない。こんな素晴らしい且つ当たり前ことだけど最近まで気づかなかった。それは全く知的ではなく単なるバカの見本である。

ふと窓に目を移すとメガネをかけた男の姿が見える。20代前半だろうか。特徴という特徴は見当たらない。しいて言うならばあまり人生を謳歌してなさそうなネット弁慶のような面構えである。まあそれは僕のことなんだけど。

そのときに気づいたけど僕はメガネをかけている。1年365日欠かさずかけている。小三くらいからかけている。今気づくような情報じゃないけど。あらためて見ると何だか不思議な気持ちになってきたのだ。

電車内を見回すとメガネをかけた人が半分程座っている。ということはつまり日本人の50%がメガネを着用しているということになる。冷静に考えると日本の人口の半分が近視・遠視でメガネを着用してるって恐ろしい。何者かの黒い陰謀も感じられる。僕の知らないとこで「日本メガネ化計画」が着々と進行している。それが完全に遂行したとき、日本に何らかの災いが巻き起こるのだ。ノストラダムスでも2000年問題でも危機を乗り越えた日本が、日本人にとって最も近い存在だったメガネに堕ちていく…。

それを救いに来るヒーローは誰だろうか。メガネをかけているだろうか。メガネをかけたヒーロー、そんな奴いたような記憶がない。大体自分の危機を救いに来たヒーローがメガネをかけていたら。何だろう。絶対に嫌だ。クラーク・ケントだってスーパーマンに変身するときはメガネは外してる。メガネは絶対にいらないパーツだからだ。「これがあると弱そうに見えるんだよな…」と考えているのだろうか。


大学入ったときはDescendentsのボーカル・マイロがメガネヒーローだった気がする。このポップで激しいメロディーをナードなルックスで歌う(というか叫ぶ)スタイルがめちゃくちゃ好きだった。こないだ久しぶりにI'm The One歌ってみたら意外と歌詞を覚えていた。

僕は独り
君のためにずっと独りでここにいた
僕は一人
君が泣いたときにただ寄りかかる肩を貸すだけの一人

曲が終わりかけたときに仙台駅に着き、僕は一気に現実に引き戻された。新しいメガネが欲しい。僕のメガネは指紋だらけなのだ。マイロ君もそうだったろうに。お前はその前にメガネ拭きを持っているのか。